求めよさらば・・・

Posted by michikosayura on   0 comments

真剣に問いを発した時、答えは必ず返ってくるものだ。
ただし、答えを求める対象を間違っていては、元も子もない。
アジャシャンティの本に本質的な物事の答えを「思考」に求めるなら、それは哲学的な答えを納屋のトンカチに求めるのと一緒、みたいなことが書いてあった。
思考、自我にいくら答えを求めても、正しい答えは返って来ない。

どうしても感じてしまう分離感がとても辛くて、部屋に貼っているイエスの絵(アキアネ・クラマリックちゃんが8歳の時に書いた)に「なぜ分離感はこうもしつこく残るのですか?」と聞いた時、みぞおちの所にすごい抵抗感を感じた。
イエスの真っすぐに澄んだ瞳を見るのが苦しかった。
なんでだろう?と思った。答えを求めてすがっているはずなのに、答えが返ってくるのをどこかで恐れて抵抗している自分がいた。
そしてそんな抵抗感を持つ自分を、イエスにすっかり見通されている気がして苦しかった。
一言でいうと、すごい罪悪感を感じたのだ。

その夜に開いた奇跡講座の一節は、まったくそのまま、わたしの問いに対する答えだった。
そしてなぜこの問いを発した時に、抵抗感や罪悪感が沸き起こるのか、それもわかった。

(第9章 Ⅰ 実相の受容)
「神の意志に対する恐れとは、人の心がこれまでに作り出した信念の中でも最も奇妙な信念の一つである。
心がすでに甚だしく分裂していたために、自らの本性を恐れることが可能となっていたのでなければ、そのような信念が生じるはずはなかった。」

・・・・その通り、わたしは自分の「本性」を知ることが怖いのだ。
だから、イエスに「本気で」尋ねることを本当はためらっていたのだ。
「あなたは神と同じものである」と告げられた時、人は必ず意識の奥深いところでそれを否定し、それを受け入れることを恐怖する。

「このプロセスにおいて恐れを生じさせる唯一の源は、あなたが自分から失われると考えているもの(※個としての存在意義)だけである。」
「あなたは聖霊が答えてくれないと主張するかもしれないが、あなた自身がどのような質問者なのかをよく考えてみるほうが賢明だろう。あなたは自分が望むものだけを求めてはいない。この理由は、それを受け取ってしまうことをあなたが恐れているからである。」
「あなたは、自分が真理を否定することで浪費している厖大なエネルギーを認識していない。不可能なこと(※幻想である自我として存在すること)をあくまでやり続け、それを達成することが成功だと信じている者について、あなたは何と言うだろうか。」
「あなたが実相を歪曲するなら、自分自身を実在しないものにしようとしているので、不安や憂鬱や、ひいてはパニックを体験することになる。
こうした気持ちを感じるとき、自分自身を超えたところに真理を探そうとしてはならない。
なぜなら、真理はあなたの中にしかあり得ないからである。」

わたしが執拗に感じている分離感は、他でもない自分自身が自分の「実相」「本性」「本質」を受け入れることを拒絶しているからに他ならなかった。
だから、分離感から癒される方法は、自分の本質を受け入れることしか無いのだ。
それが分かってからもう一度イエスの絵を見た時、イエスの眼差しがわたしの本質を真っすぐに見つめてほほ笑んでいるように見えて、それからしばらく阿保のように声を出して号泣してしまった。
泣いても泣いても、涙が止まらなかった。
そして思った。
それでもわたしは何度も何度も自分の本質を忘れるだろう。
何度も何度も、無意識に自分の本質を拒否するだろう。
それがエゴの強力な習性だからだ。
だから、泣きながら強く思った、あなたにすがらせてくださいと。
あなたにすがるより他に、わたしが錯覚から覚めて、自分を正しく見れるようになる方法はありませんと。
これまでに何人かの人から「路子さんはキリスト教信者なんでしょう?」と言われたことがある。
こんな事を書くとまた誤解されそうだけど、わたしは「宗教」には今後一切関わるつもりは無い。
ただ、わたしにとって一番身近な導師がイエスだったというだけのこと。
そして、イエスは今なお「生きている」
だから問えば答えてくれる。こんなにもはっきりと分かる形で。










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