35年前の未来都市

Posted by michikosayura on   0 comments

母親の感情の変な波が気になる。
急にカリカリしだして突っかかって来るかと思うと、無気力になって放心しているような時があったり。
先月、孫と母親と動物園に出かけた時、急にせん妄状態になり動けなくなったこともあった。
せん妄になる瞬間を始めて見た。
母に構っているすきに孫が走ってどこかへ行ってしまい、内心むちゃくちゃ焦った。
急いで母をベンチに誘導して座ってもらい、孫を探しに走った。孫はすぐそばにいたのでホッとした。
幸い20分ほどベンチに座ってもらっていたら、意識が戻って一緒に歩けるようになった。
でもその後、孫と一緒に象やキリンを見たことは覚えていなかったし、今でも思い出せないという。
母に内緒で、母の職場の所長に話に行った。
職場でも一度せん妄になったことがあったけど、あの時以来具合がおかしくなったことは無いとのこと。
何かあったらすぐに私の携帯に電話を入れてもらうようお願いした。
昨年、思いつく限りのすべての検査をしてもらい、認知症でもアルツハイマーでも梗塞、高血圧でも無かった。
医者も頭をひねっていたけど、脱水が引き起こすせん妄という可能性が高いと言われた。


話しは変わって、「一人ブレラン祭り」開催中である。
「ブレードランナー2049」を先週金曜日に見に行き、今週はブレードランナーの一作目のディレクターズカットとオリジナルカットをBlu-rayで見て、そしてまたおとといの夜に2回目の2049を見に行った。
うう・・・オタクとしてこんな幸福な祭りは無いよ(涙)
一作目は何度か繰り返してみているから、大体のことは頭に入っているはずだと思っていたら、最後に見たのは30代の頃だったので意外にもすっかり忘れているシーンもたくさんあった。
(ここからはネタバレしてますので、まだ見てない人は注意してください)

まずヴィルヌーヴ監督の2049。
この監督はひさびさに「この世に存在してくれてありがとうー!!」という自分の中での最高の賛辞を捧げたい人なのだ。
数年前に「灼熱の魂」という社会派の作品を見た時打ちのめされた。
それから「メッセージ」も近年まれに見る傑作SFで、こちらも二回劇場に見に行った。
とんでもなく頭の良い監督さんなんだと思う。
美意識、文学性、精神性、監督としての技量、どれを取っても歴代の巨匠に引けを取らない。
(というか、この人は後に巨匠と呼ばれる人だと思う)
そんな神・ヴィル(略)が撮ったブレランの「続編」が傑作でないはずが無い!と思いつつも、ブレランファンとしては一抹の不安もあった。
あの作品の続編を作って、マニアを落胆させないのは至難の業だろうなと思ったから。
ところがどっこい、やぱりヴィルは神だった。(拍手)
まず映像がどのシーンを切り取ってもそのまま極上のアートだった。
一作目の「未来」から、またさらに荒廃が進んだ未来都市。
スコットの描く未来都市は退廃的だけどどこかアジア的でカオスな生命力があった。
でもヴィルが描いた未来都市は、行き詰まり感、重い諦念が感じられ、やや無機質。
それからこの作品は主演のライアン・ゴズリングの存在あってこそだと思った。
あのイノセントで孤独で、どこか狂気をはらむ眼差しが、あの世界観に深みを与えていた。
この人の本領はこういった役柄だと思う。
だから「ドライヴ」とか「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ」あたりの「使い方」がわたしは好き。
「ラ・ラ・ランド」も見に行ったけど個人的にはちょっと違う感じがした。
(つくづく女子向け映画がダメなだけかもしれない)
もう一人印象に残る登場人物は人工知能ホログラムのジョイだろう。(なんちゅー可愛い女の子なんじゃ!)
お互いに「魂」を持たないレプリカントのK(ゴズリング)とジョイの一途な恋の切ないこと。
3時間という長さがウソみたいに、途中で集中が切れることも無くあっという間だった。
欲を言えばデッカードが始終ヨレヨレTシャツだったのがちょっと可哀そうだった。
リスペクトの意味で、もうちょっと見せ場が欲しかったなぁ。

そして一作目の本家ブレードランナー。
よく言われることだけどやっぱり言っちゃう・・・今見ても全然古くない!!
古くないどころか、今なお斬新で、ジャンクで、スタイリッシュだ。
改めて、これはとんでもない作品だったんだなー。
本家、続編、これは比べられるものじゃないなと思った。
当たり前だけど全く違うタイプの監督さんなんだなーと。
ただ、単純にどちらに軍配を上げるか?と言われたらやっぱり本家の方。
リドリー・スコットとドゥニ・ヴィルヌーヴに共通しているのは類いまれなる完璧な映像美。
そしてスコット監督にあってヴィルヌーヴ監督に無いもの、それは「クレイジーさ」だと思った。
そのクレイジーさあってこそ、35年前にあの世界を思い描き、偏執的なまでに完璧に具現化することが可能だったと思う。
リドリー・スコットのブレードランナーは超人的と言えるほど旺盛なエネルギーが凝縮している。
(ヘンタイという誉め言葉でも可)
そのクレイジーなエネルギーを決して下品になることなく、美の中でギリギリの均衡を保たさせているからこそ、とんでもなく緊張感の高い映画になっている。
でも最近のスコットのSFはそこが緩んで来て「これはノーサンキュー」というような無駄にエグイ表現があるのが残念。
(プロメテウスとか)
それからスコットのブレードランナーの役者の演技のレベルの高さ。どの役者の表情も目が離せない。
デッカードはもちろん、レイチェル(あの涙にやられない男はいない)、ロイ(この映画の主人公はこっちだと思う)、慰安婦レプリカントのプリス(と言えば白目)、老化病の遺伝子設計者のセバスチャン(いじめられっ子の哀切)。セリフは忘れていても「このシーン、次にこんな顔する」というとこだけしっかり記憶に残っていた。
そして、改めて2作を通して見て、この作品が長く人の心に残るのは、個としてのアイデンティティ(存在意義)の希求がテーマにあるから。
それは誰の中にも一番強くある希求だから。
そしてどちらの作品も、個のアイデンティティを手放した(諦めた)存在が他者を救済するというストーリーが描かれている。
こういう文脈で見た時、ルトガー・ハウアー演じるロイの手に貫通した釘と白い鳩はキリストを暗示しているとも取れる。
はー、それにしても次のブレラン祭りもまた30年後なんだろうか?
わたし生きてるかな。
(このブルーレイのラベル、あからさまにロイ推しww ハリソン・フォードはどこ行った?)







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