ビョークの新作PV

Posted by michikosayura on   0 comments

今日は塚原仮設で和みのおひさまカフェ。
以前秋津仮設でも踊ってくださったヒナ・ミヤコさんと生徒の啓子さんたちがフラを披露してくださった。
フラ、いつ見てもいいなぁ。うっとり。
でもあの優しさ溢れる揺るぎない微笑と、女神のように優雅な動きの裏で、ストイックに努力を重ねて来られたんだろうなと想像がつく。
だから余計に人の胸を打つのだろうな。










きのうの奇跡のコースの会もとてもいい時間だった。
なんでこの会はこんなにワクワクするんだろう。
参加者のみなさんも1時間半があっという間と言われていたけど、本質の話は魂が喜ぶからだと思う。
コースのことをよく知らなくても、はじめてコースの話を聞く人でも、本質は言葉を超えたバイブレーションだから不思議と伝わるのだ。
最近、やっと腑に落ちて来たことがある。
それは、耳にタコができるほど聞いて来た言葉だけど「愛だけが存在する」ということ。
これは比喩では無く、抽象概念では無く、非科学的なことでは無く、このことだけが唯一の真理なのだ。
愛は、形を持たない。決して見ることができない。聞くこともできない。
愛は、名前を持たない。個人を知らない。生まれもしないし死にもしない。
愛は、時間に制限されない。特定の場というものに制限されない。
愛は、所有することができない。
だから、目に見え、耳に聞こえ、触れることができ、生まれては死に、所有することができるもの・・・はすべて存在しない。
だから奇跡のコースでは「知覚できるものは存在しない」というのだ。
愛は、神、「意識」、気づき、プレゼンス・・・いろんな言い方ができる。
そこにはどのような個人的なものも存在しない。
個人は存在しない。
愛そのものになる瞬間やひと時は、実は誰もが経験していると思う。
その時、愛そのものであるという実感以外の一切が消えるのを体感する。
その時、探求は終わる。
思考は止まる。
何かを求めたり、知りたいと望んだりするエネルギーが霧散してしまう。
ただ満ち足りるので、それそのものであることをただ味わい喜ぶ。
満ち足り、喜ぶ時、愛の自然な流れとして、それは溢れて広がり、その性質としてただひたすらに「他」を満たそうとする。
それが愛の喜びだからだ。
ビョークの新作PVはそれを表現していると思う。







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