沈黙というか絶句

Posted by michikosayura on   0 comments

きのうは江津湖の花火大会。
しとしとと雨が降る中、傘をさして見に行った。
雨にも関わらず大勢の人たちが健軍商店街を歩いて詰めかけて来ていた。
健軍にこんなに人が集まるのって、この日以外に無いよね。
娘と孫と婿さんは頑張って浴衣を着ていていたけど、孫ちゃんがどうしても花火を怖がるのでしばらく見て先に帰った。
フィナーレのWANIMAの「やってみよう」に合わせたミュージック花火は感動した!
花火はみんなを元気にするなー。



今日はお友達の鍼灸師の桑原さんが「さとう式インソール講座」を開催。
わたしはふところ事情により参加はしなかったけど、桑原さんがサービスでいつも履いてるルームシューズにインソールをちゃちゃっと作ってくれた。
ちょっとした工夫なのに、入れる前と比べるとずいぶん歩きやすい。
歩くときに無駄な力が入らない。
こうしていろんな人がいろんな知恵をさゆらで伝えてくれるのってありがたいなー。



きのうに引き続いて雨降りの日曜日、午後からは映画「沈黙」をブルーレイで見た。
この映画、ちゃんと上映スケジュールを見て見に行ったつもりが、わたしの確認ミスだったのか終わっていて見れなかったのだ。
見れなかったということにも意味があったのかな。
いやはや・・・しんどい映画だった。
しんど過ぎて二度とは見れない映画に「火垂るの墓」があるけど、あれとは違う意味でこの映画は二度と見ないだろう。
あーしんど・・・
コーヒー用意して、お菓子も傍らに置いて見始めたものの、2時間16分の間、ほとんど目を見開いて眉間にしわを寄せたまま見ていた感じ(笑)
すごい集中して見てた。
見終えた後は、何にも言葉が出なかった。
頭の中にも言葉が浮かんでこない。
ただ、心の深く深くに潜ってしまった感じだった。
これは見る人を「沈黙」させる映画だ。いや、沈黙というより絶句かな。
この映画をイエスが見たらなんと言うだろう。
奇跡のコースでイエスの本当の教えを知った今、正直なところ映画の登場人物に共感できないところはたくさんある。
大きな声では決して言えないけど、まず、この作品の中のキリストの教えはエゴによって大きく歪められている。
と思う。
キリストの教えを真に理解して実践する上で、こんな無茶苦茶な苦しみを味わう必要などどこにもなーい!!!
と、叫びたい気持ち。(大きな声出しとるがな)
けれど、こういう元々は真摯な神への愛が、理解の浅さにより様々に歪められたことで、とんでも無い悲劇を生んだ歴史があるのは取り消しようのない事実だ。
イエスが奇跡のコースという教えを世に降ろしたのは、もうこんな悲劇を二度と繰り返させないためだろうと思う。
神が試練を、苦しみを、忠誠を、望むはずなんかない。
それはすべて人間のエゴが作り出したものだ。
「なぜ神はこれほどの苦しみをお与えになるのか」という問いは根本的に間違っている。
最後の方で主人公の宣教師が踏み絵を踏むことを迫られた時に、生まれてはじめて聞いたイエスの言葉。
あれは半分は本当で、半分は、やっぱり違うと思った。





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