ひょっとしてそれは胎内記憶

Posted by michikosayura on   0 comments

きのうはロミロミセラピストのRさんのセカンド伝授。
2か月前に関東から越してこられたにも関わらず、またも、まるで「親戚か?」と思うほど人間関係がつながりまくっていた。
親戚かも。(笑)
Rさんの伝授後に、こちらもRさんのお友達でもあることが判明したぶんちゃんの自宅サロン「ほどき」にマッサージを受けに行った。
玄関にウェルカムボード!!なんかぶんちゃんの字で書いてあると温か過ぎて泣きそう。
ぶんちゃんに体のすみずみまで丁寧にほぐしてもらって、最後におまけに「脳を休めるセラピー」もしてくれて、気づいたら寝てました。
「脳を休めるセラピー」(正式名称は知らない)は、お母さんの胎内にいた時に感じていた胎盤の圧力や浮遊感を手技で再現することで、脳が深くリラックスするというセラピーなのだそうです。
前にやってもらった時も一瞬で寝た覚えが。








火曜日は秋津中央公園仮設でなごみのおひさまカフェ。
参加者はユウコさん、幾子さん、島本さん、啓子さん、わたし。
今回の智子さんのおやつ、気合入ってました。
甘さ控えめの豆乳くず粉かぼちゃプリンの上に小豆、栗、さつまいもの甘煮、そしてキウイが練り込んである白玉団子がトッピングされていて、和でありながらハロウィンムードたっぷりでした。
啓子さんはペーパークイリングでどんぐりや赤とんぼなど、秋らしいパーツをたくさん作って来てくれて、住民のみなさんに額をデコレーションしてもらいました。












今日は初の「くつろぎ非二元フリートークサロン(長い)」を開催。
と言ってもお一人お休みだったから、たきこさんと二人だけだったけど、思いのほか盛り上がり1時間半があっという間。
「分離感あるある」的なテーマになった。
前にも書いたような気がするけど、わたしは朝起きぬけに「ザ・分離感」みたいな気分にどっぷり浸ってることがよくある。
これを味わうたびに「あははは・・・まだまだだなー」という無力感を感じる。
「分離?そんなもん一回も起こった事ねーしww」と、かれこれ3年以上奇跡のコースの中でイエスに言われ続けているのに、「まだまだこれ」である。
この気分に襲われた時、「今日の予定は・・・」とマインドが働き出すと簡単に切り替えることができる。
でも、すぐに動き出さなくて良い時は、あえてこの気分にどーっぷり浸かって、じーーーっと見つめてみる。
この気分こそわたしが本当に癒したいもの。
ほとんどの人が仕事のことや、趣味や、食べることや、人と話したり、スマホいじったりして忙しくマインドを働かせることでこの気分から意識を逸らしているのではないかと思う。
昔、村上龍が「人は常に何かで(内面を直視することから)気を逸らせていないと狂ってしまう」というようなことを言ってたけど、精神的に脆弱な状態にある人がこの分離感に真っ向から向き合ったら病んでしまうだろう。
それにこの「ザ・分離感」は外側の現象と関係ないほど深いレベルのものだから、「感情を感じて解放する」ことが難しい。
やり方が悪いだけだったり、もしかしたらもっと表面的な感情から逃げてるだけ、という可能性もあるかもしれないけど、自分にとってはEFTの手法で解消することがなかなかできない。
と、そんな話をたきこさんにしたら「それって、お母さんの胎内にいる時に感じてたことじゃないかな?」と言われて、そう言われた瞬間に体がびびーーっと反応した。
「それ!それやー!」と体が叫んだ。
もしかしたら、受精が起こって肉体が形成されはじめたころまで遡るかもしれない、と直感的に思った。
たきこさんは母親の妊娠に対する不安な気持ちや、妊娠中に母親がおかれていた環境から受けていたストレスなんかが転写されたんじゃないか、と言われたけど、その可能性も大いにありそうな気がする。
私の母は、結婚前に母親(私の祖母)を亡くし、元々心配性で神経質な性格もあり、妊娠出産には何かと不安を抱えていた、と生前に父親から聞いたことがあった。
でも、自分の直観としては、分離の「確固たる証拠」である肉体を持つこと自体にものすごい怖さがあったのだと思う。
と、書いただけで鳥肌がたつような緊張を感じるので、これは当たらずとも遠からず。
ちょっと糸口が見えたかなー。

ちなみに今朝のワークブックの言葉はこちら。
相変わらず「打てば響く」ようなタイミングの良さです。

「レッスン41 私がどこへ行こうとも、神が私とともに行く
今日の主題概念が、最終的には、分離している者たちの誰もが味わう孤独感や見捨てられた感覚を完全に克服する。
憂鬱感は分離の必然の結果である。
不安、心配、深い無力感、惨めさ、苦しみ、損失に対する激しい恐れなども同様である。
(中略)
あなたから完璧な聖性が奪われることはありえない。あなたがどこに行こうと、聖性の源があなたとともにどこへでも行くからである。
あなたが苦しむということはありえない。あなたがどこへ行こうと、すべての喜びの源があなたとともに行くからである。
あなたが孤独になることはありえない。あなたがどこへ行こうと、すべての生命の源があなたとともに行くからである。
何ものもあなたの心の平安を壊すことはできない。
あなたがどこへ行こうと、神があなたとともに行くからである。」
このイエスの言葉に100%の信頼を置けた時に分離感は癒されるのだろうな。
何がそれを阻んでいるんだろう?
なぜわたしは疑い続けているのだろう?



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