受け入れ

Posted by michikosayura on   0 comments

きのう、今日と、偶然(偶然ではないのかもしれないけど)人生で同じ辛い経験をくぐり抜けて来られた方がセッションに見えた。
お一人は数秘カウンセリング、お一人はEFT。
特にきのうのWさんは、本当に淡々と凄絶な体験をお話しされるので、思わず私の方が涙ぐんでしまった。
こういう方にこれまで何度かお店のお客さんとして出会っている。
人は、あまりに感情のキャパを超えた経験の中に長い事置かれると、生き延びるためにそれを受け入れるようになるのかもしれない。
心を殺して生き延びるしかなかったのだ。
その抑圧された感情が、発露を求めて怒りや抑うつ感や心身の不調に出ることももちろん経験されている。
でも、もう赦しておられるのだ。
苦しみを与えた相手も、その状況をどうしようもなく受け入れるしかなかった自分のことも。
「どうして助けを求めなかったのか?」「もっと相手に対して怒りを表してもいいのではないか?」
経験していない人はもどかしく感じるに違いない。
でも、受け入れるしかなかった。そんな出来事が世の中にはあるのだ。
Wさんを支えたのは信仰だった。
ずっと祈り続けて来たという。
Wさんの信仰の篤さに胸を打たれた。
心の弱い人なら、神を恨むだろう。
神に背を向けた方が楽だと、この状況の中ではそう思う方が当たり前だと思う。
それでもWさんは神を信じて来られた。
そして、確かに神はWさんを救われたのだ。
変わるはずのない相手が心を入れ替えた、という奇跡が起こったのだから。
不本意な状況を受け入れる、ということは弱さとみなされることがある。
もちろん、はじめは恐怖のために抵抗すらできなかったことには違いない。
でもきのうと今日のお二人のお客様を見ていて、受け入れる精神の中に揺るがない崇高なものを感じた。
Wさんは少し前にヒーリングを受けにもいらして、その時にヒーリング後にガラっとエネルギーが変わった。
「こんなに気持ちが落ち着いたのは初めてです。普通の人はいつもこんな気持ちで生きているんでしょうか。」と言われた。

今日は奇跡講座の最後から2番目のコンテンツを読んだ。
テーマは、兄弟の中に神聖を見ることであなたは救済される、という内容。
この教えもコースの中では至る所に数えきれないほど出てくる。
この教えが、他の宗教哲学や教義と一番違う所ではないかと思う。
そして、私が一番理解が進んでいない所だ。
多分4回目を読み終わるころにはもう少し理解できているかな。
でも、先に書いたお二人のお客様の中に確かに神聖を見たのだと思う。
そのことと自身の救済が、感覚的に今一つ理解できない感じかな。

感情、心の変化に嫌というほど敏感になっている。
その変化の様子を見ていると、エックハルトトールが言うように、コースでイエスが言うように、まるで狂人のようだと思う。
風に流れて次々と形を変える雲のようだ。
なんと目まぐるしく、落ち着かないのだろう。
常に、常に外界の何かに反応しては判断し、喜怒哀楽を作り出す。
こんな不安定なものが実在であるはずが無いなーと、ちょっとげんなりしながら思う。





スポンサーサイト

Post comment

管理者にだけ表示を許可する