ドアの向こうに行く勇気

Posted by michikosayura on   0 comments

あのドアの向こうには完全な静寂があります。
完全な「空」があります。
それは、ここにあるような「私」や「あなた」、家族、仕事、名前、性別、これまでの功績、これまでの努力の結果、生い立ち、趣味、好き嫌い、娯楽、そういうこちら側にある一切が消滅した世界です。
さあ、あのドアを開けて向こう側に行きますか?

ほとんどの人が即座に「はい」と答えられないだろう。
ほとんどの人がそこに恐怖を感じるだろう。
それは「私が私である」所以をすべて無くしてしまう、つまり、こちら側では「死」と同一のものと認識されるからだ。

でも続きがある。
「あのドアの向こう側には「何もない」ですが、今までに一度も経験したことのない、こちら側の表現方法では表現不可能な完全な平安と至福があります。」
こう言われたらどうだろうか。
これでも、ほとんどの人は「もう少しだけこちら側にいよう。向こうに行くのはいつもでできる」と思うんじゃないだろうか。
なぜなら、その至福と平安を想像すらできないからだ。
この恐怖が、存在の本質に気づくことの妨げになっている。

もし、たった一瞬でも、その至福と平安を体感したら、もうこちら側に未練は無くなるだろう。
ドアの向こう側に行くことは、こちら側のすべてを失うけれど、それははじめから存在すらしていなかった物だったと分かるから。
はじめっから存在すらしていないものに、どうして執着することができるだろう。
そして、ドアの向こう側にあるものは永遠に実在するものだけだ。
「あなたと私」という個人の感覚は無くなる代わりに、永遠にひとつなるものとして存在できるのだ。

朝の連続テレビ小説のヒロイン、それを生まれてこの方ずっと演じて来た女優がいるとする。
物心ついてからずっと、子役のころからずっと、彼女はこのドラマのヒロインとして生きていた。
ところが中年にさしかかったある日、突然の降板を言い渡されたとしたら、彼女は個人のアイデンティティの死の恐怖を味わうに違いない。
まるで「私自身」だったヒロインの名前、家族、生い立ち、人生のストーリー。
それを明日からすべて手放さなければならないのだ。
でも、消滅するのは個人のアイデンティティだけで、彼女の本質としての存在は消えることは無い。
それは個人を超越した真のアイデンティティだ。
個人のアイデンティティが消えた時にはじめて、永遠なる本質のアイデンティティとして生きることができる。
でも実は、彼女が女優としてヒロインを演じていた時も、この本質のアイデンティティは息づいていた。
というよりも、この本質のアイデンティティこそが、彼女の生命そのものなのだ。
ただ、個人のアイデンティティが、本質の生命を覆い隠していただけなのだ。









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