見る者

Posted by michikosayura on   0 comments

2014年の7月のある日の夜中の体験。
(真夜中の不思議な感覚)
この時に見えたことが本質の意識を理解するのにとても役立つことが分かった。
とても不思議なことに、その時知覚したことは、今でもありありと、そのままそっくり思い出せる。
その時見えたこと、感覚的に理解したことを図に書いてみた。



この真夜中に経験した自分の視点は図の中の「アートマン」からの視点だったのではないかと思う。
アートマンと便宜上呼んでいるだけで、正確には言葉で指し示すことはできない。
でもその時、自分は(布団の中で)その視点に居た。

便宜上アートマンと呼ぶ意識の特徴を書き出すとこんな感じ。
この図は思考や知識を極力排除して、その時に感じた生の感覚で掴んだことだけ書き出している。

「アートマン」
・かすかな個の感覚
・視点。見ている者
・思考、判断をしない
・圧倒的受容性
・「神の子」
・ブラフマンに抱かれる者
・広く、大きい、膨張、拡大

そしてそのアートマンは「人生」を見ていた。
この時、無数の生まれ変わりの人生を一度に俯瞰して見ている感覚があった。
まるでゲームの複数のキャラクターの人生を、何の感情移入も無しに傍観しているような。
でもその複数の人生を見つめる眼差しには確かに愛があった。

「人生」
・現れては消える
・分離に基づいた世界
・たくさんの生まれ変わり
・個人のアイデンティティ
・五感のある世界
・知覚のある世界
・知覚により事象が出現する(?)

アートマンと人生には分離は無い。
分離は無いけれど、あきらかな次元の違いがある。
アートマンは人生を内包しているが、人生はアートマンを内包できない。

そして、アートマン視点に居る時に、背後に(と感じた)アートマンである「わたし」を大きく包み込み、見つめる視点を感じた。
これがブラフマンなんじゃないかと思う。

「ブラフマン」
・源
・ひとつなるもの
・無限、永遠
・不動
・完全な受容
・愛
・神

ブラフマンはすべてを内包している。
いかなる分離も知らない無限の受容性。すなわち愛。
広大無辺で、表現不可能。

自分が「本質の意識」という時はアートマンの視点を指しているつもり。
もう一度言うと、今日書いたことは完全に自分の体験に基づいた、自分の感覚から出て来た言葉たちだから、ちゃんとインド哲学や非二元を勉強している人からすると、違うと感じるところがあるかもしれない。

アートマンの特徴は「見る者」であること、と感じている。
だから、本質の意識に留まろうとする時、見ている視点を意識すればいい。
事象に巻き込まれず、事象を「見る」視点に切り替えること。
例えば、目の前で母が小言を言う。
小言を言われてムカつく!これは巻き込まれている状態。
そこから、ひと呼吸置いて、小言を言っている母と、それにムカついて反応している自分、それを「見ている私」に視点を戻すのだ。
見ている視点に意識を戻すと、そこには必ず静寂がある。
その視点は言葉を持たず、あらゆる価値判断をしない。
まるで生まれたばかりの赤ちゃんのように無垢な視点だ。
「ただ」見ている。
静寂、沈黙、受容。
本質の意識を言葉で表現すると、こんな感じかなー。

きのう配布された「くまにち すぱいす」にチームおひさま代表として掲載された。
「すてきびと」というコーナータイトルを聞いた時に一瞬腰が引けたけど、友人のカメラマンのしもちゃんからの依頼だったから、私でお役に立てればを引き受けた。
できたらチームメンバー全員で取り上げて欲しかったなー。
この活動も一人では決して何一つできないこと。
信頼できる素晴らしいメンバーのおかげで継続することができています。



それからこれはちょっと前になるけど、熊日新聞の夕刊に、タンクマ編集長の小崎さんがお氣もち食堂のことを取り上げてくださいました。








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