恐れというアンカー

Posted by michikosayura on   2 comments

本質の意識にロックオン計画。(今、名前決まった)
しばらくはその経過の備忘録みたいな日記になると思います。
ますます人を寄せ付けないブログへ。

ロックオンするには、その対象が認識されていないといけないわけで。
家に帰ろうとする時には、家を知っていなければいけないわけで。
こうして人生ではじめて「その意識」に意図的に留まることをし始めた時に、自分がちゃんと「その意識」を体験的に知っていて、感覚的にも掴めていたことが分かった。
きのうも書いたように、自分はこういった体験をすべて一過性のものとして捉えていて、それに執着したり、追い求めようという気持ちになったことが無かった。
でも、今になって、過去の「その意識」の体験がとても重要な道標になることが分かった。
なぜ今まで本気でその意識に留まろうとしなかったのか。
それはひとえに恐れからだということも分かった。
非二元の本質的な理解や、解放を求める人たちが、それに到達できないと葛藤しているのは、実はアクセルと同時にブレーキを踏んでいるからに他ならない。
それを追い求めているつもりでも、深い深い部分でそれを本当に理解することを恐れているのだ。
それはアイデンティティの放棄に他ならないから。
わたしがこの間の夜中に目が覚めた時に、人から必要とされないことを死ぬほど恐れていたことに気づいたように、「〇〇になるくらいなら死んだ方がマシ」という、自分でも驚くほどにしがみついているアイデンティティというものが誰にもある。
本質を、大空を自由に旅することのできる「気球」だとすると、誰もが「恐れ」というアンカー(錨)をその気球に結び付けている。
そのせいで、気球は大空へはばたくことができないでいる。
気球を大空へ放つためには、自分の中の恐れを見つめる必要がある。
自分が大事にしているアイデンティティとは何か。
奇跡講座の言葉で言うと「特別性」ということになる。
特別性は優性であることだけでなく、病弱というアイデンティティだったり、被害者というアイデンティティだったり、私は人より劣っているというアイデンティティだったりもする。
私を私たらしめているもの。
それを手放すこと無しに、本質の意識に留まることはできないのだと思う。
奇跡講座のとても素晴らしいところは、この一連の辛い作業を独りでやる必要は無いし、独りではやれない、と説かれていることだ。
聖霊と共にでなければ、この作業は完遂できない。
アイデンティティを手放すことは、それを否定することでなく、そのアイデンティティを赦すことなのだ。
どうやって赦すか。
それは、そのアイデンティティが「なぜ生まれたのか」という原因を見ることに尽きる。
原因を正確に把握できれば、自分に一切の罪が無かったことが明らかになるからだ。
そして、アイデンティティを赦し、受容することができると、同時にそのアイデンティティは元来た場所、「無」へと帰っていくのだ。









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Comment

michikosayura says..."Re: 無題"
あらー。ほんとこんな時に限って(笑)
読んでくれてありがとー!!
2017.07.28 22:12 | URL | #- [edit]
グレイ印 says..."無題"
一見、
人を寄せ付けなさそうな匂いが大好きな人もここに(^ ^)
そういう時に限って。

2017.07.27 14:07 | URL | #- [edit]

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