ホームに還る

Posted by michikosayura on   0 comments

あ、今日はノーパソが起動した。
きのう、おとといと起動せず、日記を書こうにも書けなかった。
以前なら「どうにかして今書きたい!」ってなってたと思うけど、今回全くその欲求が湧かなかった。

土曜日の夕方、店を閉めてから夕暮れの部屋で電気も点けずにぼんやりしていたら、また先日と同じ、体がマッチ棒になっていく感覚があった。
それに反比例して、ぶわ~んと広がっていく意識も同時に感じた。
マッチ棒のように細く小さく、か弱くなっていく体。
巨大な水風船のように拡張していく意識。
そのどちらもが全く同時に感じられた時、お腹の底から大笑いが込み上げて来た。
そして次の瞬間、大笑いしながら泣いた。
腹の底から、コントロールできない泣き笑いが込み上げて来て止まらない。
水風船のような意識がマッチ棒のような私を見ていた。
そして「自分でないものであろうとして生きてた」ことがハッキリと見えた。
マッチ棒の自分はぜーんぜん自然な自分じゃなかった。
それなのに、わたしはマッチ棒の自分として、マッチ棒の人生を、それはそれは大変な思いをして生きて来た。
全然自然じゃないんだもの。本来の自分じゃないんだもの。
そりゃー、そのアイデンティティで生きるのは大変に決まってる!
そう感じると、またまた泣き笑いが止まらなかった。
30分くらいはその異常事態(笑)が続いただろうか。
少し意識が日常に戻って来た時、今起こったことを自分の一人の胸に留めておけない、という衝動に駆られた。
無性に誰かに伝えたかった。
こういう体験はデリケートな事だから、すぐに言葉にしない方がいいんじゃないか?という思考も働いたけど、何かが背中を押した。
それで、普段ならこの日記に書きそうなものを、あろうことかフェイスブックに事の顛末を書いて投稿したのだ。
すぐく削除するつもりだった。
絶対に変な人に思われて、それでおしまいだと思っていたから。
ところが、投稿してものの数分でたくさんの人が反応した。
予想外に、自分の体験はたくさんの人の共感を呼んだのだ。
「ありがとう」と書いてくれた人もいた。
それから、この体験をシェアする事は公の益だったのかもしれないと思った。
この体験の後、この日は見るものすべてが可愛らしく愛おしく感じた。
みそ汁の中に浮かんでいる白い豆腐を見て「かわいいー!」と微笑んでしまうのは初めての体験だった。
階下から聞こえて来た母親がせき込む声に、母が心配でかわいそうに思った。
(これ、普段なら絶対あり得ない反応!)
そして願った。「どうかこの状態が続きますように」と(笑)

そして案の定、翌朝起きたらきのうの不思議な感覚は消えていた。
でも目覚めた時に、体に重く滞っていたものが消えているのを感じた。
「どうにかしてあの状態を甦らせたい。キープしたい。」
翌日はそのことばかり考えていた。
今まで一瞥体験があった後で、不思議とその体験に執着することは無かった。
(それ以前に一瞥体験と言われる特殊な体験だということも知らなかったし)
でも今回は、これにしがみつきたい自分が居て、それがなんだかすごく嫌だった。
ところが、エゴとは別に「ここに留まれるはず。留まりなさい。」と囁き続ける何かがあった。
それに、もう自分が人生に望んでいることは、本当にこれしか無いんだと強く自覚した。
本質に留まること。それ以外に何も望むことは無い。
(本質以外になれる訳が無いことは理屈で分かってはいるけれど)
すると、この日に読む本、見る動画、いろんな人が「留まる努力」について語っていた。
「本質を知るのに努力は要らない。なぜなら、あなたが本質から離れたことなど無いからだ。」
そんな教えと同時に、どの教師も「本質の意識に留まる努力は必要」だと説いていた。
そんな教えはこれまで見聞きしていたはずなのに、今回はじめてダイレクトに自分に語り掛けて来るように感じた。
そういえば、数か月前に叔父も「ひと時も本質の意識から離れないように瞑想している」と言っていたっけ。
起きてから眠りにつくまで、何をしていてもその意識に留まることはできると言っていた。
でもそこにやはり努力は必要なのだ。
この思考のお喋りのせわしさとかしましさ、日常の中に発生する刺激、反応。こなさなければならない沢山のタスク。
そういう事象と共にありながら、努力無しに本質の意識を保つことのできる人間はとても少ないと思う。
(大和田菜穂さんくらいかな(笑))
最近よく動画見るようになったムージは特に、この努力について熱弁を振るっている。
ムージは、雨の高速道路ではじめてワイパーを作動させながら運転する初心者のドライバーの喩え話をしていた。
ワイパー(事象)に気を取られずに道(本質)を見続けるには訓練が必要なのだと。
ルパート・スパイラは「意識的に現存(プレゼンス)であり続ける」ことの重要性を至るところで説いている。
「この自己だけを、もしくは気づいている現存(プレゼンス)だけを信頼し、それにつかまっていてください。」と。
どうすれば「留まる」ことができるのか。
それは心を静かに保つことが不可欠だ。
静かな心、それが本質そのものでもあるから。
それは騒々しい往来から離れて、静かな森の中の我が家に帰る感覚に似ている。
「ホームに帰る」。まさにその言葉の通りなのだと思う。
それには、我が家がどこにあって、どんな風な場所なのかをまず知っている必要がある。
でも一度ホームを思い出すことができれば、どんなに往来の騒音の中で人ごみに揉まれても、「帰ろう」という意思さえあれば戻ることができるのだ。
土曜日のあの体験以来、もっぱらいかなる状況下でもホームに戻る練習中です。
まるで訓練犬のように(笑)


今日、植木からわざわざさゆらを目指して来てくださったお客様がいた。
ネットでさゆらの存在を知って、仕事のお休みを利用してJRと市電を乗り継いで来てくださった。
市電の中でぼんやりと他の乗客や外の風景を眺めていたら、突然胸がいっぱいになって涙が込み上げて困ったという。
「おー!それそれ、最近わたしも良くあります!愛ですよねー。言葉にすると陳腐だけど。」と意気投合。
それから例のEFTの押し売り(笑)で練習させていただいた。
亡くなったお母さんを裏切ったという自責に苦しんでいたTさん。
60分くらいのセッションの最後には、時空を超えて、お母さんご本人から赦されたと実感されて、たくさん涙を流された。
市電の中で感じていたのはお母さんの愛の導きだったのかもしれないなと思った。
相変わらず儲けはさっぱりだけど、次元を超えた豊かさに恵まれたうちのお店なのです。


きのうは城南町塚原仮設で和みのおひさまカフェを開催。
ところが、お二人マッサージをした辺りから割れるような頭痛と吐き気が。
もうダメだと思って、幾子さんにあとの方のマッサージをお願いして30分ほど車でダウンしていた。
私には本当に珍しいこと。
最近、10年以上は無かったような片頭痛や生理痛があったり、体がだるかったりする。
やっぱり更年期かなー。
いろいろとペースダウンする必要を感じています。




















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