フィルムの再生

Posted by michikosayura on   0 comments

実はゆうべ小一時間ほど結構な長文の日記を書いていて、あげくに熱暴走からか?パソコンがいきなりシャットダウンしました(泣)
でも自分でもびっくりするほど全然がっくり来なかった。
あー、今日は投稿しない流れなんだー。と納得しておしまい。
下書き保存もしてなかったからもう一度書き直し。


この数週間内面的にけっこうヘビーで、これは3年前の「生きてても死んでも同じー」みたいな灰色の日々を送ったあの時以来のしんどさかも。
あの時はインコのソラちゃんが天国に行ったことで、逆に「ソラちゃんの分も生きる!」と一念発起して立ち直ったんだっけ。
ソラちゃんが救ってくれたんだと思う。
今回はあの時のしんどさとは全然違う。
もっとエグイ。
何がエグイって否応なしにエゴに直面しているから。
「もう見逃さないぞ」と一体誰に脅迫されてのか分からないけど、自分の中のエゴに目を背けたり、ごまかしたりできなくなってしまっている。
当然そこから自己否定、自己卑下、罪悪感を抱くことになる。
もちろんそれ自体が強力なエゴだということも頭では分かっている。
でもこの丸ごとの自分を心から赦すことがなかなかできないでいてすごく苦しかった。
これは完全に自分の内側のことで、外側の物事とは関係無いので、普通に行動したり仕事したりはしてるけど、とにかく心も体もしんどくて、やたらと眠いしよく寝ている。
エックハルト・トールが脅迫観念的な自己否定の末に、「もうこんな自分とは付き合いきれん!!」と激しい感情の爆発を経験したと同時に、エゴから解放されて悟りの境地を開いたエピソードは有名だけど、自分はいくら自分にうんざりしてもそのような高尚な奇跡は起きず・・・
ところが数日前にある視座を理解したことで随分と楽になった。
この事もとっくのとっくの昔にコースに書かれているのに「今さら?」みたいな事なんだけど、なかなか腑に落ちないでいたのだ。
それは、分離した私が経験しているストーリー(自分の行い、性格、反応含む)は「すでに終わっていること」だという真理。
分離した私のストーリーは過去のものでしかないという事実。
なぜなら分離は、その幻想が生じた時に「同時に(神によって)訂正された」からだ。
だからこそ、分離は一度たりとも起こった事のない幻想なのだ。


「奇跡は何もしない。するのは、取り消すことだけである。そのようにして、すでに為されていることに対する妨げを無効にする。
付け加えることはせず、ただ取り去るだけである。
そして奇跡が取り去るものは、すでに消え去って久しいが、記憶に保たれているために即座に結果を生むように見えているものである。
世界はとうの昔に終わっている。それを作り出した想念は、それらの想念を試行して少しの間それらを愛した心の中には、もはや存在していない。
奇跡は単に、過去は消え去っているということと、真に消え去ったものは何の結果ももたらさないということを、見せるだけである。
罪悪のすべての結果は、もはやここには存在しない。罪悪が終わっているからである。
罪悪が去ったとき、その結果も、原因がなくなって去っていった。
もしあなたがその結果を望んでいないというのなら、なぜ記憶の中でそれにしがみついていようとするのだろうか。」
(テキスト 第28章 1現在の記憶)


要するに、今わたしたちが経験している人生というストーリーは、好奇心から生まれた分離の幻想が、一瞬の間に創造した映画であって、それはすでに神によって分離の幻想ごと取り消されている。
でもその一瞬に見た映画のフィルムがいつまでもいつまでも記憶の中で再生されているのだ。
分離が生み出したフィルムの中の自分は、盛大に間違い、盛大に悩み苦しみ、分離の幻想の中でこの上無い孤独を味わうだろう。
赦しとは、そんなフィルムの中のストーリーを「これはもう終わったこと」と一切裁かずにいることに他ならない。
フィルムのストーリーは変えられない。それはすでに終わっているからだ。
でもそのストーリーに対する「反応」を変えることができるし、できるのはそれだけだ。
本当の自分はフィルムの中で無く、神と共に平安の内にあると理解すること。
それが赦しであり癒しなのだ。
おとといの夜中トイレに目が覚めた時に、自分の中のある強烈なエゴに気づいた。
(なんでだか私の重要な気づきは真夜中にふと目覚めた時に下りてくることが多い)
私は人から必要とされないことを死ぬほど恐れていた。
死ぬほどというのは決して大袈裟に言っているのでは無く、「世の中の誰にも必要とされない自分」を想像した時に、体が震えるほどの恐怖を感じたのだ。
そして心から「こんな脅迫観念はいらーん!!」と思った。
そうしたら翌朝憑き物が落ちたように心と体が軽くなっていた。
もうこのエゴを手放せるタイミングに来たからこそ、目の前にまざまざと見せられたのかもしれない。


今週月曜日は台風で倒れた妹の畑のトマトの立て直しの作業をした。
一日中雨で、ハウスのビニールも風で剥がれてしまったので、雨とぬかるむ泥の中作業した。
一日中野良仕事をしている妹はしょっちゅう空を見上げることも多い。
その中で気になるのがケムトレイルだ。
「やっぱりケムトレイルが天候異常を引き起こしているんじゃ?」という疑念がぬぐい切れないと言っていた。
お天道様のすることだから、と思えば自然災害も仕方なく受け入れることができる。
でもこれが人為的に引き起こされいていると考えたら、悔しくて仕方ないと言っていた。


今週火曜日の秋津仮設の和みのおひさまカフェは、メンバーの啓子さんのフラの先生であるミヤコさんと生徒さんのリエさんが踊りを披露してくださった。
フラはやっぱりいいなー。
自分のガラじゃないから習いはしないけど(という女性性の否定)、フラの動きの美しさとやさしさは愛そのものだなと思う。
これは女性にしか表現できないし、女性が与えることのできる最高の癒しと励ましだなと思う。


















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