コインの裏と表

Posted by michikosayura on   0 comments

今日はTAO塾主宰の波多野さんとマクロビ料理家で講師の天野さんの取り組み、「いいねキッチン」とお氣もち食堂のコラボで、天野さんが早朝から作ってくださった玄米巻き寿司を食堂で提供した。
いいねキッチンは、お氣もち食堂のきっかけでもある湯布院の原っぱカフェの「いいね食堂」からヒントを得て波多野さんが始めた取り組み。
原っぱカフェの浦田さんと波多野さんは「盟友」だということだ。
全部で10本の玄米巻きずしを寄付制でふるまってくださった。
熊本では有名人の波多野さん、いつもよりたくさんのお客さんが来てくださって、お寿司もランチもほぼ売り切れた。
梅酢や米飴で味付けされた優しい味の玄米寿司は、とてもやわらかくて食べやすかった。
波多野さんと天野さんに自分の料理を食べてもらうと思うと、実はかなりプレッシャーだったけど、心から美味しいと言ってくださってとてもホッとした。
大人気の子ども食堂「竹ちゃんち」の竹下さんも来店してくださった。











そんなこんなで、相変わらずいろんな人たちが近づいて来てくださって、色んな企画が次々と持ち上がっているけど、相変わらず心はややテンションの低い状態が続いています。
ぶっちゃけ暗いかも(笑)落ち込んでるわけでは決して無いけど。
心だけ一足先にお休みモードに入ってる感じ。
「下りる」って決めたからギアチェンジしたんだろうな。
多分「下りた」状態でこれまでと同じように動くことは可能なんだろうなと思う。
それは「私がやってる」という感覚を手放すことなんだと思う。
「私が」やらなくても、ただ現象は起こる。
「左の頬を打たれたたなら右の頬も差し出しなさい」という言葉の本当の意味をに気づいた。
(間違ってるかもしれないけど)
それは、コインの裏側を手放したいと思ったら、コインの表も手放さなければならないということ。
コインの裏側がエゴの苦しみだとしたら、コインの表はエゴの喜びだ。
コインの裏側には失敗、落胆、不安、恐怖、嫉妬、自己否定があり、表には成功、勝利、報酬、栄光、名声がある。
コインの「裏側」にとことんうんざりして、もうこんな思いをするのは嫌だと思ったら、同時にコインの表も手放さないといけないのだ。
表だけを握っていたいと思う限り、決して裏側を手放すことはできない。
「左の頬」を打たれて心底人生に嫌気が差したら、進んで右の頬も殴られでエゴの特別性の喜びを手放すことだ。
(とは言え、もちろん決して万人にお勧めするつもりは無いです。)
でも、人はある程度コインの裏と表を繰り返し繰り返し経験していると、もうコイン自体を手放したいと思うものじゃないだろうか。
ここで手放すのはあくまで「エゴの」苦しみと喜びで、本質の喜びという永遠のものはもっと他の所にある。
それはコインを手放した時に初めて手に入るものだ。
以前から見たいと思っていたドキュメンタリー映画「大いなる沈黙へ」をアマゾンプライムで見た。
レンタルには出ていなくて、かと言ってDVDを買うのもためらっていたら、ありがたいことにプライムで500円で見れた。
フランス・アルプス山脈にある厳格な修道院、グランド・シャルトルーズ。
この修道院では完全に世俗から絶たれた環境のもと、神に人生をささげる覚悟をした修道士たちが「沈黙の行」を続けている。
修道士たちは礼拝堂に集う以外は誰にも会わずに、一日の大半をそれぞれの個室で神を想いながら過ごす。
一切の娯楽(テレビ、ラジオ、電話)は禁じられていて、唯一の娯楽は日曜日の野外の散歩のみ。
(この唯一のおしゃべりタイムのお散歩の場面がなんとも微笑ましい(笑))
ちなみの修道士の一日のスケジュールはこんな感じだそうです。

修道士の一日

音楽無し、ナレーション無し、照明無し、撮影は監督一人のみで行うことという条件のもと撮影されたこの静寂の映画。
ときおり挿入される修道士たちの顔のアップが印象的。
どの顔も穏やかで、うっすらと口元に笑みを浮かべている。
これは修道士同士が目を合わせた時にも浮かぶ表情で、そこには慈愛ととても静かな喜びがある。
きっとここに暮らす修道士たちは、コインを手放したのだと思う。
コインを手放すために、修道士という生き方を選んだのだろう。
何世代か前?自分も間違いなくこの修道士のような人生を送ったことがあると思う。
だからとても懐かしいし、彼らの生活が羨ましい。
でも今回は世間に生きながらコインを手放すことにチャレンジしたかったのだろうな。
肉体が生きてるうちにミッションコンプリートするかどうかはわからないけど。


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