心の持つ力

Posted by michikosayura on   0 comments

夕方散歩から帰ってきたら、ちょうど家の玄関からロングヘアの女子が二人出てくるところだった。
今日はお昼から息子の女友達が一人遊びに来てたけど、いつの間に二人に?と思い、速足で歩き去って行く二人の背中に「もう帰るのー?」と声をかけたけど届かず。
家に入って息子の部屋をのぞくと息子は居ない。
しばらく経ってから「もしや?」と思い息子にLINEで「さっき女装して出て行った?」と尋ねると、あっさりと「うん。怜未のバイト先にも行ってきたww」と返事が返って来ました( ;∀;)
今度の土曜日は次女がロリータコスプレが趣味の熊大生の男の子(この人がもうどう見ても女子にしか見えない有名人)とロリータデートするとか言ってたけど、今はいろいろ自由になっていいねー。(遠い目)

いつものように江津湖に本を持って出かけた。
奇跡講座のガイドブック的位置づけの「神の使者」をもう一度読み返している。
本を読みながら、きのうに続いて分離感についていろいろ考えたりした。
「神の使者」にはどのようにして分離という幻想が起こったのかがとても分かりやすく書かれている。
この宇宙は分離の幻想が生み出した幻であって、その中で個別の存在として生きている自我も本当は存在しない。
わたしたちは夢を見続けているのだ。
この真理がとても受け入れ難いと思う時がある。
それは、自然の完璧に調和した美しさに感動する時。
今日も江津湖の自然の中で「神の使者」を読んでいて、ふと目を上げると、目の前には美しい木々の緑と心地よい風、飛び交う小鳥たちや蝶々が目に留まった。
「この完璧に調和した自然さえも、分離の幻想が生み出した夢でしか無いのか」と思うとものすごい抵抗感を感じた。
それはある意味での冒涜のような気がした。
これをすべて幻だと片付けることは、その方がよっぽど罪のような気がした。
しばらくその感情に抗わずに自然の風景をじーっと眺めていたら、また数年前に聞いたのと同じ言葉が聞こえて来た。
「あなたたちが創りあげたこの宇宙は美しいね」と。
その声はどこかしら悪気の無いアイロニーを含むようなフィーリングを伴っていた。
数年前にも、この美しい自然の調和すら本当は存在しない、ということがどうしても受け入れられず、誰も居ない山奥で聖霊に答えを必死で求めた時があって、その時にも同じフィーリングで同じ言葉が返って来たのだった。

神の使者にこんな言葉がある。
「心というものがどれほど力強いか、想像もつかないでしょうね。
わたしたちが話しているのはまだ形而上的なレベルだけれど、そこではあなたが宇宙と呼んでるコップの中の嵐すべてが、あなたのほんのいくつかの決断による誤創造で起こっているの。」

心の持つ力についてはコースでも何度も言及されている。
わたしたちは神の創造の力を分け与えられているのだ。
でも自我による創造は分離の幻想に基づいているため、自我によって創造されたものはみな「死」という運命を辿る。
自我が創造したもので永遠であるものは無い。
死が不可避な世界において、いったい誰が本当の意味で安らいで生きていけるだろうか。
幻想から覚めて死から解放されて生きることは充分可能なのだと、コースの中でイエスは語る。
そんな境地を本気で目指すのは、この自我の世界では狂気の沙汰でしか無いのだろうということも分かる。
でも、自我の言葉とイエスの言葉。どちらを信じるかと言われたら、わたしはイエスの言葉を信じる。

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