すべてに聖霊に入ってもらう

Posted by michikosayura on   0 comments

娘が友達と久しぶりにランチに出かけるというので、孫ちゃんのお迎えを引き受けた。
お迎えの前にひとつ買い物を済ませようと車を出そうとしたら、車が引っ切り無しに来てなかなか出せない。
そこにかとちゃんが来て「あれ?今日だったよね?」と・・・
あーーー!すっかりEFTの練習させてもらう約束を忘れていた!
ほんとかとちゃんごめんなさい。
でもちょうどお迎えまでにセッションする時間があったので、すぐにお店に入ってもらってセッションさせてもらった。
ほんと、まだ下手なのでかとちゃんも「???」みたいな反応で、更に輪をかけて申し訳ない(汗)
それからかとちゃんも一緒に孫のお迎えに行って、そのまま娘が帰る時間まで江津湖公園まで散歩した。

EFT無料モニター。絶賛受付中であります。
「は???」で終わる可能性も大ですが、中にはすごく感激してくださる方もいます。
どうか、不肖、浅川をまともなEFTセラピストに育ててやってください。
そのためには経験を積むしかありません。
みなさまのご協力をよろしくお願いします。

フェイスブックでシェアされていたこの動画がとても面白かった。


これは確かに核心をついていると思った。
この動画を見た後で、中古で買った「神の使者」(奇跡講座の副読書的な本)を読んでいたらこんな文章が。

「宇宙はきみたちが想定しているようなものではない。
存在するように見えるすべては、じつは分離できない一つながりの思考だ。
原子以下のレベルでは、対象を変化させずに観察すらできない。
きみ自身の体も含めて、すべてはきみの心のなかにある。」

この後、この本には実はその「心」さえも本当は存在しない。と書かれている。
この見解は純粋非二元論と言われて、在るのは「神のみ」だという考え方。
奇跡講座はもちろんこれを究極の真理としている。
奇跡講座が言わんとしているのはたった一言「God is」ということ。

今朝、瞑想していて、あらためて思ったことがある。
それは、すべてにおいて聖霊に入って来てもらおうということ。
(このブログを読んでる方がどれくらいおられるか分からないけど、間違いなくこの一言はドン引きポイントに違いない)
なぜなら。私には虚無しか創り出せないからだ。
私がエゴと同化している限り、そこから生まれる思考も、感情も、見える風景も、起こる出来事も、すべてエゴの投影という虚無でしかない。
多分、これは究極のネガティブな自己否定にしか聞こえないと思うけど、実際にはこれが腑に落ちた時、心はまったく真逆の安らぎと喜びを感じるのだ。
虚無であれば、それが元々無いものであれば、そこに聖霊はやすやすと入って来てくれるだろう。
私が真剣に望みさえすれば。




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