一番赦して欲しい相手

Posted by michikosayura on   0 comments

今日は秋津中央公園仮設で和みのおひさまカフェを開催。
前回を上回る人数の住民の方が来てくださって、セラピスト4名フル回転でマッサージした。
城南の塚原仮設はいつも15名ほどの住民の方が集まってくださるけど、男性は一人も来られない。
みんな50代~70代の奥様ばかり。
ところが秋津仮設は男性と女性が半々くらいで出てきてくださる。
わたしは男性の全身マッサージを担当、6名の方に施術させていただいた。
仮設に入居してから梗塞で救急搬送された、という方がお二人おられた。
やはり年を取ってからの環境の変化(しかも明らかな環境の劣化)はかなり心身に堪えるのだろうと思う。
少しでも身体と気持ちがほぐれますようにと思いながらマッサージをさせていただいた。
活動が終わってから、秋津仮設のほぼお隣にあるごぱん屋うっでぃーさんの工房に、智子さんが作ってくれたいちご大福をおすそ分けに行った。
和みのおひさまカフェをはじめて以来、いつもうっでぃーさんの看板商品であるクラッカー「ガリガリ」を支援していただいているのだ。
工房はちょうど焼きあがっていた生姜ガリガリの良い香りでいっぱい。
工房の前にある桜並木でみんなで写真を撮った。














きのうの奇跡講座のシェアリングの会で「自分がいい人であると認められない」というブロックって、誰の中にもあるなーと思った。
「わたしは愛情深い善良な人間です」と自分に対して100%の信頼を持って言える人がどれくらいいるだろう。
そう宣言した時、きっとほとんどの人が心の中にチクリとした痛みを感じるのではないだろうか。
チクリどころじゃ無い、首をぶんぶん振って全否定する人だっているだろう。
言うまでもなく、その痛みは罪悪感と呼ばれるものだ。
ところが、奇跡講座では「一切の罪悪は存在しない」と数えきれないほど何度も何度も説かれている。
「罪悪感がなぜ生じたか」についても奇跡講座ではとてもシンプルなたった一つの答えを提示している。
その答えは、罪悪感は「神から分離した」という考えから生じているということ。
これは信仰を持っていない人にはなかなか感覚的に解せないと思うけど、実際に罪悪感のずっとずっと根っこを辿っていくと、すべてがこの想念に行きつく。
ところが!そもそも「神から分離した」という考え自体が大いなる勘違い。
どの存在も、「一度たりとも」「一瞬たりとも」神(創造主)から分離したことなど無いのだ。
だから「すべての罪悪は幻想だ」とイエスは説く。
これが本当なら、この事が理解できれば誰もが今すぐに罪悪感から解放されるはずだ。
でもそれをどうしても認めないのは、これまた罪悪感のなぜる技。
「自分を罪から解放してはいけない」と、自分を罰することをどうしても止めない。
そして更に厄介なことに、罪悪感を持つこと自体に耐えられなくなると、人は罪悪感を他人に「投影」する。
罪は自分の中にあるのでは無く、「あの人の」「あの事の」中にあると罪を押し付けようとする。
タレントのゴシップ、政治家のバッシングを引っ切り無しにわめき立てるテレビのワイドショーなどは、その投影の集合意識が形になった最たるものだと思う。
人はワイドショーを見て他人の罪を責めている間、自分の中の罪悪感からしばし解放されるのだ。
だから見るのを止められなくなる。
誰かを、何かを、責めている時、誰もが自分自身を責めているのだ。
自分自身に責めを向けない人は、誰のことも責めない。
誰かを、何かを責めてしまう時、
それは自分自身が「わたしを赦して」と自分に赦しを乞うている声なのだと捉えるとちょっと優しい気持ちになれる。
実は誰もが、一番自分自身に赦されたがっている。





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