自由意志は無いという癒し

Posted by michikosayura on   0 comments

先々週のインフルエンザの病み上がりからまた更に毎日目まぐるしく、夜はもう何も考えたくなくて日記も滞りがち。
時間の使い方に関して、自分はどこかでちゃんと折り合いを付けないといけないなと常々思いながらも、次々に入る予定をとにかくこなすので精一杯。
予定や時間の使い方に関して受け身じゃだめなのだ。切るところは切らないと。
とは言え、本当にどれも切り捨てられないことばかりで、結局は「今はこういう時期なんだ。」と受け入れるところに落ち着いてしまう。

勤労放蕩娘の次女が久しぶりに精神的に低迷期に入っていて、こちらのケアも手が抜けない。
1年4か月、ほとんど欠勤することなく続けていたバイトをこの2週間ほど休んでいる。
本人も「早く働きたい」と言いながら体と心が言うことを聞かず、歯がゆい思いをしています。
一時はちょっと危機的な状況でかなりハラハラしたけど、突発的に何かしでかすような緊急時はどうにか切り抜けたので、やっと私の緊張も緩んだところ。
フェイスブックに投稿したある記事(娘とは無関係の)に対して何人かの人から「それは路子さんが羨ましいからよ」というコメントをもらったけど、「実際に私になってみたら、ぶっちゃけ大変だよー」と内心思わないでもない。(笑)
それでも今がこれまでの人生で一番平和なのは確かだけれども。

先週金曜日はタウン情報くまもとからお氣もち食堂を取材に来てくださった。
元タンクマの記者&編集者だった同級生の直美さんがお氣もち食堂の記事をフェイスブックにシェアしてくれた所、現タンクマ編集長の小崎さんが興味を持ってくださったのだ。
取材に来てくださった時に「お客さんサッパリ」の悲しい事態は何としても回避したかったので(充分ありうる)、予め何人かの友人やお客さんに「サクラを頼みます!」と根回ししておいた(笑)
ので、晴れて取材当日はお店はほぼ満席(万歳!)。
ご協力くださったみなさんありがとうございます!!
小崎さんは50代半ばの男性でとても楽しくてあたたかい方でした。
お忙しい方だから集中的に短時間で取材されるのかと思ったら、4時間近くゆっくりと、楽しそうに他の常連さんたちとお話しされてた。
お料理もとても喜んでくださってほっと安堵。
「人はもっと人を信用していい」、「お金の縛りから自由になろう」というお氣もち食堂の理念にも、こちらが感動するくらいに深く共感してくださって、小崎さんも同じ方向にベクトルが向いている方だなと思った。

きのうはさゆらの常連さんの永野さんからの依頼で、秋津のコミセンで開催された発表会でぜんざいを販売して来た。
前の晩に50食仕込んだのだけど、お客さんが予想をはるかに下回って集まらず、大量に売れ残ってしまったので数人の友人知人にせっせと分けた。
一緒に出店していた自然食中華料理の藍天さん、北区のコーヒー専門店のナチュラルコーヒーさんの方もかなり余りが出て、帰りにから揚げや小籠包、コーヒーと、わたしのぜんざいを物々交換。
コーヒーも藍天さんのお料理も本当に美味しかった。

夜は高校時代のバンド仲間のちいちゃんが婚約者を連れて熊本に帰って来たので、みんなで飲み会。
歴代の彼氏のすべては誰も把握していないほどの(笑)モテ人生を歩んで来たちいちゃんはベリーダンスのインストラクターと絵画ヌードモデルを生業としている。
いつも妖艶で、隣に並ぶと「ほんとに同い年の同じ女か!?」と我ながら突っ込みたくなるくらい自分がチンケに見えます(涙)
そんなちいちゃんがやっと実を固めることに決めたのだ。
どんなお相手を連れてくるのか、友達の私たちが一番ドキドキしていたのだけど、婚約者の木村さんは長身イケメンのモテ容姿とは裏腹の、とても寡黙でピュアでロックな心意気の男性だった。
「ちいちゃん、最後にちゃんといい人と出会ったね」となんだかうるうるしてしまった。
はーー、ちいちゃん幸せそうだったなぁ。(遠い目)
きのうはもう一つ身近な人のとても嬉しいニュースが入ってきて、周りの人の幸せのおかげで自分も充分幸せな気分にさせてもらった。



最近起こった出来事で、ちょっと落ち込んで気分転換もままならないまま癒されない日々を送っていたけど、最終的にそれを癒したのは「人に自由意志は無い」という視点だった。
ラメッシ・バルセカールの言葉でいうと「私たちは『夢見るもの』ではなく、夢見られた登場人物にすぎない。」ということ。
その出来事も、その時の自分の反応も、「わたしの意志」で起こった事では無いということ。
もちろんその出来事を起こした「元になる想念」がある。
けれどその想念すらも「夢見られたもの」であること。
誰の夢か?それは「意識」だとラメッシは言う。
この場合の「意識」というのは個人の意識では無く、あらゆる「個」を持たない、存在の源泉である大いなる意識のこと。
それはひとつのもので、すべてのものだから、それが何かから分離した「個」を知ることは無い。
この「自由意志は無い」ということ、「行為者はいない」ということは、奇跡講座の「自分の心に責任を持つ」という教えとは一見矛盾するように思える。
けれど、それはひとつの絶対の真理を「違う位相」から見ることで生じる表象的な矛盾で、このふたつの教えはどちらも同じところに行きつく。
「自由意志はない」という真理がすとんと腑に落ちた時、一切の力が抜ける感覚がある。
それはなんというか「善き諦念」という感じ。
ルパート・スパイラやダグラス・ハーディングの視点だと、我々の本質は「すべて受け入れるスペース(空)」であるということ。
何だかんだ言っても、こうしてみると結局何かネガティブ(に感じる)出来事から学ぶことって多いなと思う。
そのパターンももうお腹いっぱいだからそろそろノーサンキューなんだけど。

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