深刻さに意味はあるか

Posted by michikosayura on   0 comments

月曜日にインフルエンザを発症して今日で6日。
もう感染の心配もないと思うので明日からお仕事再開です。
明日はリセット体験会&練習会。明後日はMさんのファースト伝授。
6日間の静養の間「まじでー!!?」というハプニングがあり。
・・・いや、完全に身から出た錆なんだけど。
尻拭いで丸一日奔走した以外は本を読んだりDVDを見たりしていた。
以前ははっきり言って大好物だった、暗くて重い文学系の映画や小説を受け付けなくなってしまった事に気づいた。
ツタヤでDVDを探す時に昔のノリで重厚かつ複雑な香りのする映画を借りてしまうのだけど、見てるうちにやり切れなくなって、どうにか見終わった後で「あー、時間を無駄にした」と思うことがたびたび。
例えば最近借りた「レヴェナント 蘇りし者」とか「裁かれるは善人のみ」とか「ディーパンの闘い」とか、どれもそれなりに素晴らしい作品で、立派な賞を取っていて評価もとても高いのだけど、ベースにある「深刻さ」が観ていて耐え難いのだ。
昔は「深刻さ」が好きだった。
深刻さが表現されていればいるほど「見ごたえがある」と感じていた。
今は・・・
あらゆる「深刻さ」がナンセンスにしか思えない(笑)
感受性そのものがそういう風に変わってしまったらしい。
奇跡講座のせいですよ。これは。
深刻さとは「分離は避けられない真実である」という信念からしか生じないものだ。
深刻さとは分離感そのものなのだ。
でも奇跡講座のマインドトレーニングで、分離は一度も起こったことの無い幻想であるということが腑に落ちるようになると、もう深刻にはなれない。
それは大きな山影を「怪物だ」と恐れて、それが襲ってくる日に備えて戦々恐々としていた人が、ある日それが単なる緑豊かな山の影でしか無かったと気づくようなものだ。
もうその影に対して、どんな恐れも抱くことはできない。
ネガティブさは芸術を生み出す力にもなる。
人間の分離感や死への恐怖から生み出された文学や映画作品は無数にある。
そういう作品を否定するつもりは全くないのだけど、それに心から共感することができなくなってしまったみたいだ。

そんな中、おととい見たジャコ・ヴァン・ドルマル監督の「神様メール」は最高でした。
デビュー作の「トト・ザ・ヒーロー」から大好きな監督。
長い監督人生の中で4本しか映画を撮っていないけど、どれも傑作で監督独特の人生観がメッセージとして込められている。
一言でいうと「人生はおとぎ話」という視点だ。
その人生に対する大らかな俯瞰が生む軽妙さは、深刻さとは対極にあるものだ。
「おとぎ話」を深刻に生きざるを得ない人間存在の、可笑しみと悲しみが慈愛を持って描かれている。
毎回この人の作品を見て同じ感想を抱く。
この監督の視点こそが神の視点なのではないかと。
「神様メール」の原題は「新・新約聖書」。
最後に起こる「奇跡」がもう本当に最高で、見るとどんな人も必ず元気になる作品です。







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