あの山も、この部屋も、思考も気分も同列のもの?

Posted by michikosayura on   0 comments

夕方からメキメキと気温が下がってきてます。
明日は大雪の予報。
今週のお氣もち食堂はどうなるのかなー

グレッグ・グッドの「ダイレクトパス」を7割くらい読み進めた。
もちろんちゃんと全部の実験をしながら。
きっと本のせいだと思うけど、自分の知覚がじわーっと変わっているのに気づいた。
きのうは夕方から何だか気分が悶々としていた。
特に何かあった訳でも無いし、落ち込みとも不安ともイライラとも違う、「悶々」としか言いようのない感じだった。
「映画でも見て気分変えようかな」と思ったけど、何かがそれを押しとどめた。
「気分を変える」という事を敢えてしないでおきたい。そんな「気分」だった。
そうしてその気分に「一緒に居ていいよ」と言ってあげた。
すると、この気分も、周りの景色や物や音や色と何ら変わりないものだという事が分かった。
気分だけじゃない。思考だってどうやらそうなのだ。
これはダイレクトパスでも実験があるのだけど、本を読んで実践した時に一番よくわからない部分だった。
でも、きのうの悶々とした気分を眺めているうちに、その事が実感として分かった。
そして、どうしてこうも人間は「自分の」気分や思考には、並々ならぬ執着を抱くのだろうと不思議な気がした。
ネガティブな感情や思考は「どうにかして変えないといけない」と無意識に否定する。
この否定と抵抗がもっとその気分と思考を強化するのだ。
自分の思考と感情も周りの環境と同じように眺めた時、「もっと○○になろう」とか「自分の○○はこうあるべき」とかいう「頑張った感じ」が一気に削がれていく。
多分・・・本当の受容ってこういうことなのかも。と思った。
受容には何もがんばりも要らない。それが自然な状態なんだ。
だから「努力して受け入れる」ってのは、すごくおかしな事態なんだろうな。









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