生まれもしないし死にもしないもの

Posted by michikosayura on   0 comments

孫の誕生会の時に何故かユミさんからたくさんもらった、うまい棒・シュガーラスク味がしみじみ美味しいよー。
侮れないな。うまい棒。

今日はカフェの曜日を火曜日に変更して一回目のオープン。
で、出店者のあさこさんと初美さん以外、だーれもお客さん来なかった。
せっかく出店して下さったのお二人にも悪かったけど、なんだか先行き不安になってちょっとナーバス。
やっぱりこの選択が間違ってたのかなー、とか、始まったばかりなのに考えてしまったり。
でも、上手くいく行かないに関わらず、一回はこうしてみないと納得しなかっただろうしね。

今朝読んだ奇跡講座・ワークブック。
奇しくもきのうのこと、お兄さんを亡くしたかとちゃんに伝えた言葉がちょうど出てきた。
それは「死は存在しない」という言葉。
かとちゃんはこの言葉をまっすぐに受け取ってくれた。
そして心が軽くなったと言ってくれた。
読むのは2回目だけど最重要ポイントなので、自分のために抜粋して転載します。

レッスン167
「一なる生命があり、それを私は神と共有している。」

神が創造したものは神の生命(いのち)を共有するので、死は存在しない。
神と反対のものは存在しないので、死は存在しない。
父と子はひとつなので、死は存在しない。

この世界には生命(いのち)とは反対の状態があるように見える。
あなたはそれを死と呼んでいる。
しかし死という想念はさまざまな形をとるということをすでに学んだ。
その想念は、至高の幸福ではないすべての感情の根底に横たわる単一の想念である。
それが警報となって、あなたは完璧な喜び以外のあらゆる種類の反応を示すことになる。
あらゆる悲しみ、損失、不安、苦しみや痛み、疲れたときの小さなため息、かすかな不安感やしかめ面さえも、みな死を認めている。
そうしてあなたは自分は生きていることを否定する。

あなたは死とは肉体に関することだと思っている。
しかし死とは一つの想念にすぎず、肉体の死とみなされているものとは無関係である。

死とは、自分が自分の創造主から分離しているという考えである。
それは、自分に制御できない原因や、自分が作ったわけでもなく自分では絶対に変えられないような原因によって、状態は変化するし、感情は移り変わるという信念である。

心は肉体を作ることができないだけでなく、肉体の中に住むこともできない。

一見、生命(いのち)の反対の状態(=死)のごとくに見えるものは、ただ眠っているだけのことである。
心が心でないものになることを選び、自分が持っていない異質の力を身につけようとしたり、自分が入って行くことのできない異質の状態や、自分の源の内にはない偽りの状態を装うとするとき、心は少しの間眠りにつくように見える。
その心は時間という夢を見る。
すなわち、一度も生じたことのないものが生じ、実体の無い変化がもたらされ、どこにも存在してない出来事が存在するかに見える間隔を、夢見るのである。
目を覚ませば、その心は、これまで通りに存続していく。

私たちの生命(いのち)はわたしたちが想像しているようなものではない。

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奇跡講座において、「心」は「生命(いのち)」と同義です。
心=生命は死なない。
それは肉体の死とは無関係なのだ。

奇跡講座の教えとして、変化したり、生まれたり、消えたりするのものは、実は初めから「存在しない」と説かれている。
唯一存在するもの。それが「心」=「生命(いのち)」なのだ。
生命(いのち)は時間を持たない。
移り変わり、過ぎゆき、変化する時間もまた存在しない。
時間を持たない生命(いのち)は生まれもしないし、死にもしない。
それは永遠というだけである。
この永遠の生命(いのち)がわたしたちの本質なのである。
すべての「憂い」・・・不安、落胆、苦しみ、疲労・・・の根底にあるのは、「ものごとは変化し、何ひとつ確実では無く、すべてやがて消えて死する運命にある」という信念だ。
わたしたちが憂える時、わたしたちはそこに「存在しない死」」を見ている。
それが眠りの状態なのだ。













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